銀盤の舞-フィギュアスケートエトセトラ-

スポナビ+ブログから引っ越してきました。

フィギュアスケートと音楽と・・・。

— クラシックや楽団の演奏なんて、眠くなるだけでしょう・・・。—

— 敷居が高い気がするし、素人には分からないよ、クラシックは・・・。—

大方は、そのように敬遠すると思われる。

クラシック

吹奏楽

ジャズにも種類があるように、クラシックも幅広い。

中には、眠くなるものも確かにある。

しかし、

眠くなるというのは、脳波がリラックスしていることだと思う。緊張に置かれている状況では、とてもじゃないが眠れやしない。

本日、吹奏楽の演奏を聴きに行って来た。

普段、職場で一緒に仕事している20代の若手職員君が、趣味で吹奏楽の楽団員として活動している。

今回、初めて案内をもらったので同僚とランチを兼ねて出向いた。

私にとって、クラシックと言えば、「フィギュアスケート」が仲を取り持ってくれたと言っても過言ではない。

昨年から活動を休業している、アメリカのジョニー・ウィアー

彼が演じた、「アヴェ・マリア」を初めて見た時の感動は、今でも覚えている。

鳥肌が立った。

とても美しかった。

男だ、女だ、そんなことはどうでもいい・・・。性別なんてさほど重要なものか?そう、感じてしまう。

ジョニーの世界観たるや、見ている者を圧倒させるものがある。

男子シングル選手が、こんなにも華麗で繊細な演技を、スケーティングを、するのか?!

彼の演技に感動して、アヴェ・マリアが好きになった話は、だいぶ以前の記事に書いた記憶があるが、私にとってのクラシックの入り口が、ジョニーだった。

CDを買ってまでもクラシックを聴きたいと思わせた、最初の人物。

それからと言うもの、プログラム楽曲を楽しむことも、フィギュアスケートを観戦する際の私の「醍醐味」となっている。

本日の演奏会では、フィギュアスケートによく使われるような曲は、残念ながら無かったが、「A列車で行こう」(ジャズのスタンダード)が披露された。

誰もが知っているジャズのナンバーだ。

他に、

Over The Rainbow も演奏された。

キーラ・コルピの、2010〜2011年のショートプログラム楽曲でもある。

最後の演奏は、勇気100%

“そうさ!100%勇気〜”の歌詞がある、あの歌。

正統派クラシック好きな人には、物足りなかったかも知れないが、クラシックが苦手な人にも、充分楽しめる親しみやすい演奏会だったと思う。

震災を受けて、「東日本大震災支援」を目的とする演奏会に切り替わった本日の演奏会会場には、募金箱も置かれていた。日本赤十字社を通じて寄付されるようだ。

その為、演奏する曲も変更され、「応援」や「励まし」のメッセージを打ち出した楽曲となっている。

思わず、私の指先や肩先がリズムを刻む。

久しぶりに演奏会に出向いたが、やはり、音楽は素晴らしいと感じた。

同僚も、「普段あまり聴くことも行くこともないんですけど、来て良かったです。」と、楽しめたようだった。

どんよりと重苦しい空気が、日本中を支配している。

直接の被災を受けていない人も、「押しつぶされて」しまいそうな、息苦しさがある・・・。

そんな時、

音楽はきっと、「心のオアシス」になってくれると思う。

出過ぎず、傷口を優しく包みこむように、私達の思いにそっと耳を傾けてくれる。

音楽には、

そんな力がある。

そして、

その音楽なしには演じることの出来ない、フィギュアスケートという、芸術的要素を兼ね備えた、技術的進化が求められる、複雑なスポーツ。

自らの思いと、はじき出された得点や順位が必ずしも合致するとは限らない、審査する側においても、観戦する側においても、何とも難しいスポーツではある。

しかし、

あぁでもない、こうでもない・・・と、言い合うことが出来るということは、むしろ、幸せなことではないか。

気持ちも頭も疲れている、そんな時には、

クラシックやジャズ等、音楽に耳を傾けて、ほんの一時、無心でフィギュアスケートを見つめてみるのも、良いかも知れない。

音楽に耳を傾けさせる力を、フィギュアスケートは持っている。

フィギュアスケートと音楽。

選曲を間違えば、プログラム全体の印象が悪くなる。

フィギュアスケートと音楽の関係・・・自らをこれに例えると、「必要」なことが見えてきそうな、そんな気がする。

頭で聴くものではない。

理屈なんて、どうでもいい。

分かるとか、分からないなんて、素人には無用だ。

ただ、感じたらいい。

魂が受けとめたらいい。

音楽とは、そういうものだろう。