銀盤の舞-フィギュアスケートエトセトラ-

スポナビ+ブログから引っ越してきました。

“基礎力”— 必ず最後に勝つ! —

政治に苛立つ“余力”さえ奪ってしまう程の蒸し暑さ。

「節電にご協力を!」

呼び掛けてる矢先に、原発がらみの様々な“問題”・・・。こういうのを、茶番劇と言うのだろうな。

“大人”って、いつからこんなになってしまったかねぇ・・・これでは、若い人を叱る資格は全くない。

故郷を追われることが、どれ程切なくも苦しいことなのか。

「相手の立場になってみなさい」

親からそう躾られてきていない“大人”が、どうやら今の日本には少なくないらしい・・・あぁ、なげかわしや。

そんな時に、ただひたすらに純粋に、己と向き合い続けている浅田真央選手を思うと、心が救われる。

決して器用とは言えない浅田選手は、出来ることをひとつひとつ積み重ねている最中だ。

ジャンプの天才と言われ、勝っても負けても世間からの注目を集め続けてきた浅田選手は、ジャンプの修正と言うだけではなく、スケーティング、スピン、スピード等の、相対的な「基礎」の見直しに入っていることが、チャリティー本からも読み取れる。

色々な見方があるかも知れないが、パトリック・チャン選手やキム・ヨナ選手は、スケーティングはとても滑らかだ。断っておくが、フィギュアスケート通ではない一般の人間から見ても、チャンとヨナの二人は、滑らかだと言うから、確かだろう。

小塚崇彦選手を見ていても、基本中の基本であるスケーティングは、高橋大輔選手より織田信成選手より、やはり巧い。

派手なジャンプにどうしても目がいきがちではあるが、フィギュアスケートの良し悪しを決める最大の“命綱”とは、やはりスケーティングだろう。

我々の身に置き換えてみても、仕事でパソコンを操作する場合に、「基礎」がしっかり出来ている人と言うのは、何かで行き詰まった時の打開策を考えるのが上手い。私のような“ワープロ”の時代に20代を過ごしてきた後にパソコンの時代がやってきて、半ば仕事しながら仕事の中で「独学」で覚えた人間は、基礎が抜けているから、行き詰まった時に情けない程、弱い。独学と言うと聞こえは良いが、要は「我流」だ。

歌舞伎の世界は、幼い頃から歌舞伎のイロハをみっちりとたたき込まれる。

行き詰まった時、苦しい時、最後は“基本力”の高い人間だけが生き残っていくんじゃないか・・・40年ちょっと生きてきた今、つくづくそう思えてくる。

大事な基本を再度たたき込ませている浅田真央選手は、最後は必ず“化ける”はずだ。

今さら“パソコンの基礎”と言うには、私には時間がなさすぎる・・・自分より優秀な人間と比較してもどうしようもない。そうなると、“得意な部分”を伸ばして相手と差別化をするのが、最短の距離だ。

己と比較するなどおこがましいが、トリプルアクセルに何故拘り続けるのか・・・今の私なら、浅田選手の思いに共感出来るかも知れない・・・そんな気がしている。