銀盤の舞-フィギュアスケートエトセトラ-

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ベサメ・ムーチョ — トゥクタミシェワの挑戦、そしてjazz —

— ベサメ、ベサメ・ムーチョ Each time I cling to your kiss ・・・ —

このメロディを知らない人の方が、むしろ少ないと思われる。それほど、日本人には“馴染み”のある曲だ。

Besame Mucho

ベサメ・ムーチョ。

今シーズン、ロシアのエリザベータ・トゥクタミシェワが、フリーに用いている楽曲だが、「実年齢14歳にして、ベサメ・ムーチョは大人すぎじゃないか?」と、当初は感じた。

しかし、

調べると、これを作った本家本元の コンスエロ・ベラスケス というメキシコの作曲家は、何と15歳の時にこの歌を作ったそうだ。

当然(?!)のことながら、「想像」の元にインスピレーションで書いていったのだろうという“仮説”がある。

日本語に直訳すれば、「私にたくさんkissをして」ということになるようだ。

そんな若い時分に作られた歌だとは知らなかった。

何の偶然か、トゥクタミシェワとほぼ同じ年の頃に、作られたわけだ・・・。

それを思えば、ベサメ・ムーチョの歌詞が持つ“意味合い”というのも、また解釈が異なってくる。

大人向けの作品とばかりに捉えていたが、若き少女が「想像」の元に男女の関わりを謳ったものだとすれば、「清純」とか「憧れと淋しさ」「恐さ」・・・等という少女ならではの、未来への思いが込められていた・・・とも、考えられる。

歌詞の解釈など、答えはひとつではない。その人が持つ感性、その時々での抱く感情や取り巻く環境、それらによっても、時代を経て様々な解釈が生まれてくる。

それもまた、私が音楽を好きな理由のひとつかも知れない。

エリザベータ・トゥクタミシェワが演じる「ベサメ・ムーチョ」は、それまで私が抱いていたベサメ・ムーチョに対する“常識”を、大きく覆してくれた。

悪い意味で・・・いや、ブルースは目の前にいない。エコカーを宣伝・・・してない、それは私のセリフじゃない(笑)。

勿論“いい意味で”

ジュニアからシニアにあがったその年に、ベサメ・ムーチョはある意味挑戦であり、ある意味“等身大”の楽曲であるとも言える。と、感じたのはあくまで私の解釈だが・・・。

久しぶりに、安富祖貴子(あふそ・たかこ)が歌う、Besame Mucho を聴きたくなった。

沖縄出身のジャズヴォーカリストで、この歌は、「マブイのうた」というアルバムの5曲目に収録されている。

ジャズシンガーだが、その原点は「R&B」だと言われている。耳元でシャバダディヤー等と、さえずるような囁くような歌声だと思って聴いたら、必ず“ダウングレード”を貰うはずだ。

ラテンの音楽も安富祖の歌声にかかれば、ジャズながら日本の「ワビサビ」が効いた、格別な“風”となって五臓六腑に染み渡ってくる・・・。

トゥクタミシェワの甘酸っぱいベサメ・ムーチョの後には、大人の“魂”を感じさせる 安富祖貴子の歌声は、いかがだろう?。