銀盤の舞-フィギュアスケートエトセトラ-

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特定選手に頼った報道の危うさ—メディアの戦略—

「スケーティングにも注目した報道を—大技の魅力—」(2011.12.1付記事)銀盤の舞—フィギュアスケートエトセトラ—

と題して、以前記事を書いたのだが、これには多くの方から共感の声をいただいた。

今回は、また違う角度からメディアに“ラブコール”したい。

昨日今日からだろうか・・・浅田真央の本の宣伝を巡り、浅田サイドが「思いと異なる」との理由で、異例の出版中止を発表した・・・ネット界では、この話題があちらこちらを駆け巡っている。

出版界のことは分からないが、テレビ業界に至っては、地上波放送におけるフィギュアスケートの番組製作において、毎度のことながら「過剰な演出」が見受けられる。

— なぜ、いつもライバルを仕立てあげるのか?

— なぜ、ジャンプ以外の要素にもっと注目しないのか?

— なぜ、同じ映像(過去)を一番組枠に何度も流すのか?

— なぜ、特定選手の人気に便乗しようとする?

または、作り上げる?

等々・・・。

パトリック・チャンのように、ライバルは高橋大輔と自ら公言しているならともかく、「○○選手がライバルです。」と明確に伝えている選手の方が少ないと思う。にも関わらず、毎度毎度、「浅田真央にライバル出現?!トゥクタミシェワ」・・・

まるで、煽らなければ一般視聴者はフィギュアスケートに注目しないとでも思われているかのように感じて仕方がない。

ジャンプ以外の要素に注目しないのは、“出来ない”のではないか?おそらく・・・。長年、フィギュアスケートの取材を続けてこられた方は別にして、放送局にいるリポーターや記者の中には、「行ってこい。」と業務命令により取材している方もいらっしゃるだろう。新人社員もいるかも知れない。

フリーのライターのように、筆一本で生活している方々とは、そのあたり「意識」も違うのではないか・・・。勿論、皆がそうだとは言わないが。

また、組織の中で、一個人がどうあがいても、上層部に「ジャンプ以外の要素にもっと注目しなければ、フィギュアスケートを伝えることは出来ないぞ。」という、意識改革でもない限り、難しい。

それだけ、ジャンプ以外の要素についてマスターするのは、容易ではない。

一般視聴者がテレビ放送を見ていて、分かりやすい技はジャンプであると言えるが、スピンも分かるぞ(笑)。ステップもあるわな・・・。

一番組内で、過去の同じ映像を何度も流されるのも、うんざりしてくる。

「分かったって」(苦笑)。

特定選手の人気に便乗した番組製作も、そろそろ止めてはどうか?例えば、昨年のグランプリファイナル。参加を予定していた浅田真央に不幸が襲い、急遽帰国し欠場となった訳だが、それまでテレビの番組宣伝では、男女通じて浅田真央をメインに打ち出していた。まるで、浅田真央ひとりしか参戦しないのか?!とも思いたくなる程に・・・。ところが、事態は急変した。浅田をメインに打ち出せなくなったテレビ局は、内心焦ったんじゃないのか?

浅田真央が欠場か・・・数字(視聴率)取れるかな?番宣どうする?本番どうするか?—と。

特定選手の人気に便乗したやり方や、特定選手をアイドル化してフィギュアスケート番組を製作していると、偶発的な何かが生じた時にむしろ困るのはメディア自身ではないだろうか?

しかも、

都合よく持ち上げたり持ち下げたり、節操がない。

まるで売らんかな商法だ・・・。

しかしね、

私のような斜めから物を見つめる人間には、門前払いしたくなる(笑)。

青臭いと言われようが構わない。

“真心”なくして、トップセールスも視聴率もあったもんじゃないと、私は考えている。

・・・この人、ノルマ達成したいだけなのね・・・

・・・ここの放送局、視聴率にしか興味がないのね・・・

長年生きてると見えてくるものだ。

って、話がそれたかな?もしかして・・・。

お後がよろしいようで・・・(笑)。