地上波放送に拘る理由—フィギュアスケートテレビ観戦—
「特定選手に頼った報道の危うさ—メディアの戦略—」(2012.1.13付け記事【銀盤の舞—フィギュアスケートエトセトラ—】)
をエントリーしたのだが、テーマを2つ以上並べるとやはり散文してしまう。加えて、睡魔との闘いだった(苦笑)。
改めて・・・。
— またぁ?しばらくいいんじゃなぁい??
まぁ、そう仰らず(笑)。
1年近く、あるいは1年以上ご覧下さっている方にはこう思われる方もいらっしゃるかも知れない・・・y-love は、やたら地上波放送に拘るなぁ・・・と。
ストレス抱えながらテレビ観戦するくらいなら、BS放送やスカパー契約すればいいのに・・・。
確かに、そうかも知れない。
地上波放送に見られるような、必要以上の“煽り”や“過剰な演出”は、そういったチャンネルの方が明らかに少ない(もしくは、ない)のだろう。
じゃぁ、なぜ地上波放送に拘るのか?
● 地上波放送は、テレビ界における「総合百貨店(デパート)」と言えるからだ。
例えば、洋服や靴、カバン、あるいは誰かへのプレゼント等を買い求めに行かれる時、いきなり専門店に行く人は少ないと思われる。デパートあるいは、大型ショッピングセンターのような場所に、“まずは行ってみる”。そこで探せない、見つけられないような時に、ちょっと足を伸ばして「専門店」を覗いてみる。
といったパターンが多くないだろうか?
それらに例えると、地上波放送はまさに、テレビ界の“デパート”と言っていいと思う。
専門店にあたるのが、BS放送やスカパー等(CS放送)だろう。
ただ、このデパートは全国的にも苦戦を強いられている店舗が少なくない。
デパートの品物は値段が高いけどいい品物が多い。しかし、欲しいものがない・・・“あるけどない”状態であることが少なくない。
デパートは、日本で言う“総合百貨店”であるから、本来は老若男女問わず、皆に満足していただけるような品揃えでないといけないのだが、何せこの不況だ。好みも多様化してしまっている。市内中心部から少し離れた郊外に行けば、大型ショッピングセンターやスーパーが立ち並ぶ。デパートよりは価格も控えめだ。品数も多い。選択肢は充分にあると言える。
そこで尚も満足出来ない方は、専門店に足を運ぶのだろう。価格は少し張るが、良質な品揃えであることは確かだ。
地上波放送も、デパートみたいなものだ。番組数はあれど、「見たいの少ない」あるいは「演出が過剰だ」・・・デパートも、売り場の配置や品物のディスプレイ、レイアウトを変えた方がいいのに・・・もったいないなぁと、個人的に感じることがある。
しかし、
自分達の街から、デパートが消えてしまったら・・・とてもじゃないが、街の灯りが消えてしまうようだ。何だかんだ言っていても、皆、デパートに対する思いは熱いものがある。
デパートから購入したお中元やお歳暮が、今も尚喜ばれるのだ。
それほどに、デパートとりわけ老舗デパートの存在というものは、大きな意味があると、私は感じている。
テレビ界から、地上波放送が消えてしまったら・・・と思うと、恐すぎる。
地方に行けば行く程、高齢者が多い地域に行けば行く程、何たって地上波放送なのだ。頼りにしているのだ、地上波を。
そんな“頼り”にされている地上波で放送されるからこそ、市民権を得られやすいとも言える。
私が、フィギュアスケートの地上波放送に拘る理由には、そういったことがある。
だが、そこにあぐらをかいているとやがて“危機”が訪れる。
不況に置かれているデパートも、何とかして売り上げアップをはかっている。
いくら魅力ある品物を揃えたところで、ディスプレイや店員の接客態度、売り方等に問題があれば、客足は伸びない。それどころか、逃げていく。
フィギュアスケートを放送するテレビ地上波も、同じだ。
いくら優れた選手やプログラムがあったところで、番組の製作の仕方や、伝え方いかんによっては、その素晴らしさが充分に伝わらないことだってあるのだ。
実況、解説、カメラアングル、カメラワーク、過剰な演出・・・等々。
過剰な演出をする時点において、テレビ局そのものがフィギュアスケートをマイナーな競技と捉えている何よりの“証”であるように思えてならない。だから、特定選手の人気に頼ったり、アイドル化して一般視聴者を引き付けようとする。
(まぁ、実際はマイナー競技であるのはそうかも知れないが、時にメジャー扱いして時にマイナー扱い・・・どちらかに統一出来ないのか?都合が良すぎないかと思うんだが・・・)。
“街の灯り”(家族団欒)を消さないで欲しい・・・と、私は思っている。