銀盤の舞-フィギュアスケートエトセトラ-

スポナビ+ブログから引っ越してきました。

【銀盤の舞】表現力への挑戦 小塚崇彦—NHK アスリートの魂より—

※かつて、小塚崇彦の演技の“良さ”が分からない周囲の人間に、「見て見て、このスケーティング!滑らかでしょ?」等と伝えては、地味だよ、コスチュームも地味だよ、表現力何とかならないのかなぁ?・・・と返されるばかりだった日々。

以前は、小塚崇彦のみについてエントリーしても反応を得られることの方が少なかったことを思うと、小塚崇彦の認知度もかなり高まってきているのだと思う。

今回の記事は、読み手の心に委ねる部分がかなり多い文章構成にしている。

いつも小塚崇彦をフォローするようなエントリーばかりしていたが、今回は一般的に感じられている部分についてを言及しながら、問題提起して貪欲に取り組む、小塚崇彦のトップアスリート魂を賞賛したく思っている。(2012.1.17追記)

NHK 「アスリートの魂」(2012-1-16月曜日 10:55〜11:20)にて、小塚崇彦を特集していた。

てっきり見逃したと思っていたら、日にちを勘違いしていたらしい(苦笑)。間に合って良かった。

今季、表現力に磨きをかけている小塚崇彦であるが、冒頭からいきなりショッキングな言葉が、彼の口から飛び出した。

— 僕は・・・何の曲で滑っても皆同じに見えてしまう・・・

多分なのだが、一般視聴者が何となしに小塚に抱いている“思い”が、まさにそれではないだろうか?

確かにスケーティング技術は優れている。高橋大輔より体の柔軟性もある。私は生で小塚の演技を見たことはないが、実際に生でご覧になった方は、口を揃えたように「氷をガリガリ削る音がしない。」と言う。

本当に美しいスケーティングをする選手であるのは、間違いないようだ。

しかし・・・、

彼の性格的な部分もあるのだろうが、今一歩“控え目”な印象がどうしても拭い切れずにきていた。

「小塚君・・・上手いんだろうけど、ちょっと・・・地味なのよね。」

私の周囲の人間が、だいたいそのような感想を持っていたのだ。

内心、私は焦れったくて仕方なかった。

「恥ずかしがるな!」

何度、そう思ったことか・・・。

今季の振付け師でもある、ディビッド・ウィルソンが「彼は、恥ずかしがり屋」だと語っていた。

表現力を磨くために指導を受けた、カート・ブラウニング(小塚崇彦が尊敬するスケーターであり、カート自身も小塚崇彦を可愛がっている。)も、「上手く滑ろうとする気持ちが強すぎる。もっとスケートを楽しまなきゃ、見ている人に伝わらないよ・・・。」と語っていた。

言葉は違えど、両氏ともに、同じような感想を抱いていたのだが、我々が抱く印象と何ら変わりはないことにも、正直驚いた。

かつて、浅田真央も表現力が今一歩、表情が無い等と言われてきたことを、ふと思い出したが、今じゃ「今までのことは、目の錯覚だったのかもね。」と思わせる程に、表情が豊かになっている。今季は見事な“変化”を遂げている浅田真央

— 僕は・・・何の曲で滑っても皆同じに見えてしまう・・・

恥ずかしがり屋を返上するべく、表現力と向き合い続けている小塚崇彦は、まだ“道半ば”にいるが、彼の中には「気付き」という素晴らしい“武器”がある。

自分に何が足りないのか・・・優れたアスリートというものは、やはり自らの五感でそれを掴み取っているのだと、改めて感じた。

“気付き”・・・我々人間に、とても大事な感覚だ。これが鈍いと、正直一般社会においても、進歩出来ない。

高橋大輔の表現力は、指先から頭の先、足先までとにかく全身が“息をしている”ようだ。曲の緩急に合わせて、その息遣いも変化をする。「僕を見て」と、時にこちらが試されているような錯覚すら覚えてしまう程に、“憎たらしい”大輔の腰つき。いちいちため息が出て、呼吸を忘れてしまうこともある。

マチュアが魅せる表現力にしては、ズルいだろうよ・・・と、時折感じてしまうのだ。(申し訳ない。)

一方、小塚崇彦の表現力は、だいぶ磨きがかかってきたと思うが、ウィルソン然りカート然り、私の感覚でも「もっと殻を破って」欲しい。まだまだいけるはずだ。上半身の動きがかなり出てきたが、「内側からの訴え」るような感情を、まだ出し切れていないと思う。表情も、なかなかついていききれずにいる場面が多い。

高橋大輔小塚崇彦はスケーティングもスケーターとしても、カラーが全く異なる。小塚に大輔のような表現力を求めるのは、また少し違う話だろう。

小塚崇彦じゃなきゃ出せない表現だ・・・と、云わしめるような更なる進歩を、是非期待したい。

オンリーワン小塚崇彦 を目指して。