採点競技を“観戦する”難しさ — フィギュアスケート —
昨年の師走にも、採点競技の難しさとして記事をエントリーした。採点に対する思いみたいなものだったが、その際に寄せられたコメントを一言で言うならば、「今の採点方式は完璧ではまだないが、前進はしている。」と概ね前向きに建設的に捉えたご意見が多く、荒れるだろうかと少しは覚悟していた私の予想が、いい意味で裏切られたことに、内心ホッとしたことを思い出した。
何故かと言えば・・・。
先に行われた四大陸選手権では、男子シングルで優勝したパトリック・チャンだけではなく、女子シングルで優勝したアシュリー・ワグナーまでもが、「加点が多いのでは?」、「演技構成点が高すぎないか?」等と、一部で疑問視されているからだ。
あぁ・・・。
何故、いつもこうなんだろうか?とため息が出ることがしばしばある。
中には心無い誹謗中傷もあるが、全部がそうではないようだ。大技への挑戦をしづらくさせ、やたらと質を追求し加点をつけるという、かつての採点の在り方が、視聴者やファンの心に根強い不信感となっているためではないだろうか。
ミスの有無に関わらず、加点や演技構成点が多い得点に対しては、何らかの疑問を抱いてしまうケースが少なくないように感じている。
ワグナーのフリーの演技「ブラックスワン」は見事だった。完璧と言っても良いのではないか。それほど、渾身の演技を魅せてくれたと私は感じている。
力強さ、凛々しさ、妖しさがあった。プログラムが進行するにつれて、ぐいぐいと引き込まれていった。文句のつけどころは、なかったように思う。何故なら、昨年は何某かミスが必ずあり、GOE(出来映え)も、さほどつきはしなかったと思う。
せっかく良い演技をしていても、必ずミスっていたワグナーの演技を見ていた分、四大陸選手権の「ブラックスワン」には、鳥肌が立った。後半、こみあげてくるものを感じた。
キャロライン・ジャンも、ジャンプの矯正を始めて以来、「久しぶりの最終グループ」だったのではないだろうか。いや、テレビ観戦において、久しぶりに表彰台圏内に入る演技を見せた・・・と言った方がいいかも知れない。(実際、表彰台に上がったが。)
アシュリー・ワグナーには個人的な感情はさほど持ち合わせていない私だが、ジャンに対しては、少し思いがある。
かつて14〜5歳くらいだっただろうか?「小さな体のどこからそんなパワーがあるんだろう?」そう思わせるほど、ジャンのスケーティングには勢いとスピードがあり、パールスピンに代表されるように、柔軟性も素晴らしかった。
そんな当時を見てきただけに、ジャンプの矯正を始めてからというもの、お世辞にも当時のような勢いやスピードを感じることは出来ない。神様はなかなか彼女に“それ”を返してはくれないが、今回のフリーのスコアを見ると、エッジエラーはひとつもとられていない。パールスピンも復活した(一時期は見られないことがあった。)。そして何よりひとつひとつの技や動き、スケーティングをとても丁寧にこなしていた。そんなジャンには、「よく頑張ったね。やっとここまできたね。」と、褒めてあげたい気持ちでいっぱいなのだ。
ワグナーもジャンも、確かに「地元有利」はあるかも知れないが、それを言えばNHK杯だって日本開催だから、日本人選手が有利ということになるだろう。
だとすれば、“お互い様”かも知れない。勿論、四大陸選手権とグランプリシリーズは大会の規模が違うだろうから、簡単にお互い様とは言い難いものがあるとは思うが・・・。
浅田真央は、ジャンプもスケーティングも全て見直して、今やっと上向きになりつつある、いい意味での“発展途上”の段階であると私は捉えている。従って、必ずしも「ベストコンディション」だとは思っていない。そんな状態での浅田真央とアシュリー・ワグナーを比べるのは、正直適当ではないと感じている。
個人的には、昨年の四大陸選手権での「愛の夢」が、今も尚心に残っている。なかなかプログラムに乗れないでいた昨シーズン(矯正中だからやむを得ない)だった。それだけに、四大陸選手権で見せた“伸び伸び”とした演技に、涙を抑えることが出来なかった。3アクセルも着氷し「1.29点」の加点がついた。
技術点:70.13
演技構成点:62.71
フリー合計:132.89
最高に興奮したのだった。
それだけに、今回の四大陸選手権の演技に昨年ほどの勢いや伸びやかさを感じることは出来なかったが、エッジエラーがひとつもなく、回転不足も3アクセルひとつのみしかとられていない。
加点のつき方は昨年ほど多くはないが、その分確実に正確なエッジ使いになってきていることこそが、大きな成果とは言えないだろうか?
3アクセルの加点
◆バンクーバー五輪のフリー「0.80」
◆今年の四大陸選手権フリー「−1.29」(<印)
◆昨年の四大陸選手権フリー「1.29」
ファン心理で見つめていくと、どうしても他の選手と比べてしまいがちだが、同じプログラム構成で、同じ楽曲で演技するならば、比較のしようもあるだろうが、それは非現実的だ。
比較をするならば、同一選手の現在、過去を、同一ルールのもので見比べてみることが一番だと思う。
浅田真央自身が、「質の良いスケーティング」を目指している中で、昨年のNHK杯で見せた高さも飛距離もある2アクセルを見て、「質の良いジャンプはやはり美しい」と、私は感じたのだ。他でもない浅田真央自らが演ずるプログラムを見て、フィギュアスケートにおける“質”が、いかに大切なことなのか・・・つくづく感じ入った。
地元有利ではなかったかも知れない浅田。それでも、高橋大輔同様、最後まで演じ切ったことと、エッジエラーがなかったことに、ファンは誇りを持っていいはずだ。
神がかりに素晴らしい演技を魅せたアシュリー・ワグナーには、ファンはもっと胸はっていいはずだ。
ジャンプ矯正という至難の道から、時間をかけてやっと「美しいエッジ」を手に入れはじめたキャロライン・ジャンは、ある意味浅田真央にも通ずるものがある。ファンは、堂々と喜んでいいはずだ。
バンクーバー五輪前後の得点の出方から見たら、確かに「前進」しているのは、私にも分かるが、国際スケート連盟には更なる前進が必要であると思われる。
心無いヤジを飛ばす人間というものはどこの世界にも存在する。
厄介なのは、心ある方々からそっぽを向かれることだ。
採点競技ゆえに、観戦する側にも「意識改革」は必要なのかも知れないことは、私も薄々感じている。
だからこそ、面倒で避けていたプロトコルに最近は目を落とし理解しようと歩み寄りを始めてはいる。
お陰でだいぶ理解は深めつつある。納得するかどうかは理性で抑えていることも、無いではないが。
しかし、
アマチュア競技に、こうまでして“観戦知識”や“観戦ガイド”のような意識を詰め込まねばならないのか・・・?
そんなことまでしなければ、得点を理解、あるいは納得出来ないスポーツなんて、今更ながら“独特”だと思う。
今の採点方式は玄人受けするように出来ていると、私は感じている。
前進してきている採点方式ではあるが、0.25点刻みの演技構成点などは、もはや時代にそぐわなくなってきてはいないだろうか。0.25点にした理由は何だったのだろうか。
もっと楽に、フィギュアスケートを観戦したいものだ。