必ずしも悲観的になる必要はない — フィギュアスケート男子シングル —
・・・ 何に感銘を受け、何に感動を覚え、何に興奮し、何に興醒めし、何に畏怖の念を抱き、何に尊敬し、何を快しとし、何を遺憾と思うのか・・・それは、全て個々人の“理性”と“本能”の狭間で、波のように揺れ動く、ある意味不確定な想念であると私は思う。
小難しく理屈っぽい表現にすれば、そうだ(笑)。
採点競技であるフィギュアスケートは、実に「厄介な」スポーツだ。
えっ?フィギュアスケートって、スポーツなのかって?
五輪で採用されているからには紛れもなくスポーツであると言える。(スポーツでも大人の事情で、五輪に採用されていない競技や採用されていたのに外された競技もあるから、五輪に採用されていないからスポーツではないという考えは、適切ではないことも念のため申し添えておく・・・。)
フィギュアスケートという競技は、元々は「図形」や「円を描く」といった、所謂コンパルソリーから現在のフィギュアスケートに発展してきた競技だと各種資料にはある。
コンパルソリーという言葉をご存知な方は、旧採点方式時代からフィギュアスケートを見てきている私のような?オールドファンであったり、熱中しているうちにフィギュアスケートの歴史を知った方など、様々いらっしゃることと思う。
最近の採点の出方を見ていると、国際スケート連盟は今再び「コンパルソリー」の概念を重要視しているに違いない・・・と、思わざるを得ない。
昔はジャンプでの転倒が致命的であったのに比べ、今は「転んでも勝つ!」のだ。
ここで誤解したくないのは、技量のない選手がミスを犯して勝てるほど、甘くはない。ミスをカバー出来るくらいの技量を持ち合わせていればこそ、勝利に繋がるはずだ。(そうでなければ困る。)
高橋大輔と羽生結弦の表彰台乗りに関しては、様々な意見が飛びかっている。
— 何故、高橋大輔は優勝ではなく2位なのか?—
— 何故、羽生結弦が3位なのか?—
残念ながら・・・という言葉が適切かどうか、私には分からないが、今のフィギュアスケートが目指すところは、採点を見る限り、必ずしもノーミスかどうかではない。
「総合力」だ。
パトリック・チャンに良い思いを抱いてない方が少なくないことは、チャン自身一番良く分かっている、悲しいかな・・・。表彰台に何度も乗りながら、時折寂しげな表情を浮かべるチャンを見ていると、段々同情したくさえなってくる。
記者達へのセレモニーか何かだったろうか?高橋大輔が受け取った花束が、大輔の胸元にあるメダルを一瞬隠したのだが、すかさずチャンが、大輔のメダルを見えるように動かした。
時折、笑顔で談笑する大輔とチャン。
表彰セレモニーの際だったと思うが、大輔と羽生の二人は、チャンに声援を送っていた。笑顔で。
そんな「いいヤツ」そうな彼を見ていると、得点の出方を全て納得しているわけではないが、チャン自身に対するブーイングも、最近では気の毒に思えてならない・・・。
ちなみに、プルシェンコはバンクーバー五輪以降の採点の出方については、完璧ではないものの、一定の評価をしていると語っているそうだ。あの時、世間から誹謗中傷されようとも、身を挺して「大技を評価すべし」と訴えてきたプルシェンコがあったからこそ、今に繋がっている・・・そう考える私は、贔屓目だろうか?
高橋大輔が、不調のパトリック・チャンに勝って優勝しても私は嬉しくない。
好調の波に乗って、選手皆が「最高の演技」を魅せた時、ベストパフォーマンスのパトリック・チャンに勝利して、初めて私は「絶頂」に達する気がしている。
外面とは違い、私も負けん気が強い(笑)。ベストパフォーマンスをした相手に勝ってこそ、勝利の美酒に酔いしれることが出来るのだ。
今回の世界選手権で2位になったことにより、その力を、高橋大輔は更に蓄え続けるはずだ、間違いなく。
そして、チャンの存在、羽生の存在が、高橋大輔を更に「強者」へと高めていくであろうことは確かだと私は思う。
納得しきれない採点の出方もあるだろう・・・採点競技である以上はやむを得ないというしかない。
しかし、
“強敵”のチャンが王者に君臨し続けることによって、明らかに選手達はその頂上を崩すべくしのぎを削る。
高橋大輔が、今も尚輝き続けようと努力を重ねることが出来ているのは、紛れもなくチャンがいるからだと思っている。勿論、下から追い上げてくる羽生や後輩達の存在もだが。
時に神は様々な試練をお与えになるが、パトリック・チャンも、高橋大輔も、羽生結弦も、確実に試練を与えられたはずだ。
それをいかに噛み砕いていくか・・・。
高橋大輔が2位になった事実、ジュベールが表彰台に乗らなかった事実等、ファンにとって、必ずしも納得いくものではないのかも知れない。
しかし、
私は悲観的には捉えていない。
何故なら、女子シングルに比べ、男子シングルは、スポーツであり続けようという意地が私には感じられて仕方ないからだ。
来シーズンは、面白いシーズンになりそうな気がしている。