進化へのチャレンジ
— またそれ?って、飽きられるのが嫌なんです。—
今シーズン、鈴木明子はある意味「あっこの定番」とも言える、後半のステップ部分で観客を巻き込んで舞台を作ることを、敢えてしない「新しい鈴木明子」へのイメージに挑戦すると言う。
パトリック・チャンは、コーチが変わり、振付け師も、新しくデヴィット・ウィルソンを迎え、また新たなパトリック・チャンを目指しているらしい。
人は勝手に「レッテル」を付けたがる。
人は勝手に「イメージ」を付けたがる。
トリプルアクセルを跳ばない浅田真央は、浅田真央じゃないと言う・・・。
人は勝手に「感動」を求めたがる。
人は勝手に「批評」したがる。
— お前もじゃないか?Yよ・・・ —
そうさ・・・。
勿論、そうさ・・・。
だから、
書いている。
自戒の意味も込めて。
選手は、常に高みを目指している。
勝ちたい・・・。
上手くなりたい・・・。
観客を感動させたい・・・。
それぞれに貼られたレッテルやイメージを貼り替えるのは容易ではない。
容易ではないけれど、高みにいくため勝つため、選手は常に「進化」を遂げようと新しいことへの挑戦を惜しむことはない。
貼られたレッテルは剥がせばいい・・・いや・・・無理矢理剥がしたって、傷跡が残る。
新たなレッテルを自ら貼っていけばいい。
新たなイメージを自ら構築していけばいい。
私は、それを見守るだけ。
結局、レッテルやイメージなんてものは、「鏡の中」に生息している己の心でしかないんじゃないか?
最近、ふと、そんなことを考えている。(かなり比喩的な表現を使っているので、各読み手の解釈にお任せしたい。)
進化は人生最大の冒険・・・なのかも知れない。