銀盤の舞-フィギュアスケートエトセトラ-

スポナビ+ブログから引っ越してきました。

いろんな人が戦ってきたように・・・

— そろそろね 気づいてもいいだろう すべては自分だってことを この目に映るすべてのことは —

— good bye and hello どっちに見えるかは 自分次第さ —

— そろそろね 口にしてもいいだろう すべては愛だってことを いろんな人が歌ってきたように —

(作詞・作曲:ASKA、「いろんな人が歌ってきたように」ニューアルバムSCRAMBLEより )

ファンの間で、この歌がじわじわと好評価を得ている。優しいメロディにさり気なく心に刺さってくる歌詞。

30年以上音楽に携わり震災で心痛めたASKAがたどり着いた結論・・・全ては自分から始まっているんじゃないか、全ては愛なんじゃないかと・・・。

しばらくASKAコンサートの余韻に浸っていたかったが、この「いろんな人が歌ってきたように」の歌詞が私に考えさせるので、コメント返しより先に本編を更新することにした。

(前回記事のコメント返しは、順次行っていくのでご了承のほどを。)

全日本選手権の競技が終わった。

男子シングルの結果、女子シングルの結果・・・何かしら「思う」ところ・・・おありになる方は、いらっしゃるだろう。

当然だと思う。

何故なら、選手や関係者だけじゃない。応援する側の我々だって、“真剣に”応援していればこそ、生まれてくる感情だから。

その感情を誰に「否定」することが出来ようか・・・。

GOE(加点)、演技構成点という素人には分かりづらい採点が、様々な憶測と感情を呼び込む。

毎度、その繰り返しだ。

仕舞には、「○○選手というブランド点だね、もはや」・・・とある演技と結果を見た家族が、思わず洩らした言葉だった。

返す言葉が私には無かった・・・何故なら、私にも「見た目の印象」から判断するに、どう説明していいものか・・・さっぱり分からないからだ。

勿論、フィギュアスケートファンの中には、「○○選手は何故加点が高いの?演技構成点が高いの?」ということを解説してくれ、素人目でもいいからと言われる方もいらっしゃるだろう。

しかし、残念ながら私はそこまで分析しようとは思わない。正確には、分析をやめた・・・と言えばいいだろうか。

すべては、震災が私の見方や考え方、生き方についての思考を変えさせたと言っても過言ではない。

— そろそろね 気づいてもいいだろう すべては自分だってことを —

確かに・・・いいも悪いもすべては己に発するところ、大いにある。

何が足りなくて、何が原因か・・・マスコミや“一部ファン”が騒がずとも、選手自身が一番よく分かっている・・・はずだ。

それが、トップアスリートたる最低限の、約束だろうから。

「そろそろね プライドを見せてもいいだろう 技術の解説において」

CS放送の解説者は、きちんと技術について解説してくれると言う。

地上波では、解説者が「いろんな人」に気を遣っての発言だ・・・。

ASKAも歌っている、すべては愛なんだって。

地上波のプロ解説者には、愛で皆の「行間」(疑問点等)を埋めて欲しいものだが、愛があってもやはり差し障りはあるのだろうか・・・?

(選手に罪はないことをファンだって承知しているけれど・・・ファンの性だろうな。)