銀盤の舞-フィギュアスケートエトセトラ-

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今シーズンのエキシビションに感じる“変化”— 高橋大輔 —

・・・久しぶりに、私の脳内には高橋大輔が陣取った。

思えば・・・、

エキシビションのナンバーだが、今シーズンはここ何年にないくらいの、「本気度」プログラムだと私は感じている。

本気度プログラムとは、誤解しないでいただきたいが、何も今までが本気じゃなかった・・・という喩えでは全くない。

今シーズンのエキシビションナンバーは、2つ用意されているようだが、今のところ試合の後にお披露目しているのは、「ブエノスアイレスの春」(アストル・ピアソラ)だろう。

(もう1つというのが、スウィート作曲 スヌープ・ドッグ 振付けは宮本賢二 これは私が見ていないだけかも知れないが・・・。)

改めて調べてみると、エキシビションの振付けに関しては、2010〜2011年の「アメリ」のステファン・ランビエール以外、2007〜2008年以降、振付けは全て、宮本賢二が行っている。

宮本賢二と言えば、高橋大輔の良さを充分過ぎるほど把握している振付師ではないかと思っているが、ここしばらくは、「静寂」なナンバーが続いた。

試合のプログラムでは見せきれない部分、日頃の高橋大輔のイメージとは違う部分を見せたいとの意図があったと思う。

また、大輔自身雑誌か何かのインタビューで、エキシビションまで手の込んだプログラムを用意するのは、かなり厳しい・・・といったニュアンスのことを語っていた記憶があった。

それくらい、試合のプログラムをこなすことで、相当なエネルギーを要することを、意味していると感じた。

だからと言って、静寂なナンバーが手が込んでいないんじゃない。むしろ、そういったナンバーの方がスケーティングの良し悪しが如実に表れてしまう。難しいナンバーだと思う。

エキシビションまで、エネルギッシュなプログラムを用意するだけの余裕が、当時の大輔にはなかったのかも知れない・・・。

私個人の考えだが、エキシビションまで大会の一環とするかどうかで、その選手の情熱を感じてしまうところがあるんだが、静寂なナンバーが続いていた高橋大輔に、申し訳ないが物足りなさを感じていたのだ。勿論、エキシビションにおいて・・・。

しかし、

今シーズンの大輔は違う。

2006〜2007年 ロクサーヌムーラン・ルージュ」(振付け:ニコライ・モロゾフ)、2007〜2008年 バチェラレット ビヨーク (振付け:宮本賢二)以来の、大人の男の色気と躍動感溢れるプログラムを携えてきてくれた。

ブエノスアイレスの春は、元々フリーに使用していたとは言え、高橋大輔を知り尽くしている宮本賢二の手により、「大輔の良さを最大限に活かしつつ、今までなかった新しい大輔を魅せる」ことに見事に成功したプログラムとは言えないだろうか。

ダンスパートナーの女性が目の前にいるかのように、キビキビとした身のこなしでタンゴを躍るひとりの男。

エキシビション用のプログラムを、そのまま試合のプログラムにしても遜色ないくらい、キレのある振付けに、さすが宮本賢二だとひとり私は拍手喝采しているのだが、同時に、エキシビションでも試合と変わらないほどのハードな演技を披露してくれる高橋大輔に、今シーズン私は、心底脱帽している。

「正直、エキシビションまでは・・・」と語っていた大輔が・・・だ。

受けとめ方、捉え方は色々あると思うが、私は、今シーズンの試合にかける彼の意気込みは明らかに従来とは違う・・・と感じている。

ソチ五輪まで刻一刻と時計の針は先へ歩み続ける。その歩みを止めることはない。

高橋大輔も、また、残された時間を一歩、また一歩、己と向き合い続けている・・・。

そんな“唯一無二”の表現者である高橋大輔と、「同じ時代」に生きていられることを、有り難く思う今日この頃である。