銀盤の舞-フィギュアスケートエトセトラ-

スポナビ+ブログから引っ越してきました。

フィギュアスケート王国の礎は伊藤みどり

アラフォー以降の人間の“特権”かも知れない。

温故知新 — 古きを知り、新しきを知る —

今こそ、“伊藤みどり”を熱く語らねばなるまい。

ついぞ、2〜3日前に、スポニチ共同通信等が、報道していた — 6月8日〜11日にドイツで開催される、ISU公認の「国際アダルト選手権」に、伊藤みどりが参戦する — と。

アダルト・・・何とも言えないネーミングだ。AORが、アダルト オーディオ ロック の略であるように、アダルトとは、成熟した大人を指している言葉だとは思うが、もう少しフィットするネーミングはなかったんだろうか・・・。

その、選手権に伊藤みどりが参戦すると言う。

バンクーバー五輪以降、解説から干されてしまったようだが、リンクではその「実力」を見せつけて欲しい。

上記文章中、“干されてしまったようだが”との記述に対して、なかま様より、「それは事実ではない」とのご指摘がありましたので、補足いたします。

みどりさんは、自らテレビ出演を辞退されていた時期があったとのことです。

尚、不適切な表現があるかも知れませんが、本文は伊藤みどりさんに対して、この上ない「敬意」を表しておりますこと、読み取っていただけたら幸いです。(2011.5.29追記)

トリプルアクセル・・・世界で初めて成功させた女子が、伊藤みどりだ。

伊藤みどりについては、以前にも、当ブログで記事にしたが、みどりのジャンプは、未だ“継承者”は現われてはいない。

それくらいに、凄かったのだ。高さ、飛距離、スピード・・・回転不足って、何の話だ?むしろ、回転しすぎる程、みどりのジャンプには勢いがあった。

伊藤みどりが国際試合に顔を出して以来、フィギュアスケートは“スポーツ”という認識を色濃くしていったように思う。

勿論、フィギュアスケートが本来持っている、“優雅さ”だったり、“表現力”といった、氷上の舞踊的な要素は失われることはなかった。

浅田真央 VS キム・ヨナ

技術か表現力か?

そういった比較のされかたをしたのは、この2人だけではない。

伊藤みどり VS カタリーナ・ヴィット

この2人も、技術か表現力か?と、長年比較され続けてきた。

これも、“興味を持たせる”ための、メディアの戦略のうちだったことは、言わずもがなだ。

しかし・・・、

フィギュアスケートは、技術だけでも成り立たない。表現力だけでも成り立たない。

五輪の競技に選択されているということは、紛れもなく、フィギュアスケートは「スポーツ」と言える。

スポーツたるもの、日々腕に磨きをかけ、かわりゆくルールや採点基準に、適宜対応し、順応していかなければならない。

フィギュアスケートに限らないが、技術か?表現力か?という謳い文句は、適さないと思われる。

どちらも必要だ。

技術が優れていると感じるのも、“表現”のうちであるし、表現力が優れていると感じるのも、“技術”のうちである。

全ては、「腕」だ。

メディアも、そろそろ止めたらどうか、その謳い文句 — 技術か?表現力か? —

伊藤みどりのジャンプを超えるジャンプを、私は未だ見たことがない・・・。

伊藤みどりが、たくさんの人々に支えられ(経済面等)、日の丸を背負って孤軍奮闘していた時代があったからこそ、今の日本のフィギュアスケート界がある。

礎は、伊藤みどり

そういっても過言ではないだろう。

少しだけ、不器用なだけだ。正直なだけだ。間違ったことは言ってないだろう。

日本の宝であり続けた伊藤みどりを、メディアはいつまで“見放す”つもりか・・・もう少し大事にしてもいいのではないか。

忘れないで欲しい・・・伊藤みどり という、天才スケーターの存在を・・・。