“進化”し続けるパトリック・チャン
鳴りやまない拍手・・・
会場いっぱいに埋め尽くされた、何処の国よりフィギュア通が多いと言われるカナダの観客、「目の肥えた」観客の割れんばかりの声援と拍手を一人占めにしていた男。
その名は、パトリック・チャン。
名前がアナウンスされるまでの間、リンク中央をゆったりと何度も円を描いていた。
その様子に、糸が張り詰めるような緊張感は感じられない。
むしろ・・・
いつも以上に、「余裕」を感じた。
名前がアナウンスされて、リンク中央へ向かうチャン。
ショートプログラムは、お馴染み「テイク・ファイブ」。
零れそうな大きな瞳は、気のせいだろうか?
「笑っていた。」
テイク・ファイブ・・・「5拍子」と「(5分程度の)休憩をしよう」という略式英語の二つを掛けたものだそうだ。
原曲のリズムは、4分の5拍子(4分の3拍子+4分の2拍子)、曲の長さは5分24秒。
そのせいだろうか?
テイク・ファイブを演技する時、チャンの持ち味である 「舐める様なスケーティング」が、フリーに負けない程、目に焼き付いてくるのだ。
まるで、楽に演じているように見える。
軽々と。
SPに4回転。
ただプログラムに組み入れてきただけではない。加点がもらえるように配慮された「努力の結晶」が、たくさん詰まっている。
ジャンプの入り方、ぶれない軸、バランスの取れた空中での姿勢、高さ、飛距離、着氷後の無駄のない流れるようなスケーティング・・・。
ISU(国際スケート連盟)で、「美しいジャンプ」に定義される内容を、もれなく忠実に表現している。
「休憩をしよう」
まさに、テイク・ファイブそのものの世界だ。
たくさんのスケーターがこの楽曲を演じてきた。つい最近では、2008年度の小塚崇彦。
今までテイク・ファイブと言えば、小塚を真っ先に連想していたけれど、私のフィギュアスケートの記念頁に、新たにパトリック・チャンを加えたいと思う。
それほどの「名演技」なのだ。
そして、フリーの「オペラ座の怪人」。
SPとは打って変わって、緊張感に満ちていた。
リンク中央で深く浅く一息はき、軽く目を閉じてあける。
理由は分からないが、このオペラ座の怪人という曲が、どうにも好きではなかった。何故だか分からない・・・。
ところが・・・
チャンの演技で、その思いは変わった。
舐めるように、いや、氷の下から磁石で彼を操っているんじゃないか?怪人が。
そう思わせる程、舐めるってものじゃない、くっついているのだ。
リンクと足が、本当に仲良しなのだ。
サッカーのドリブルの巧い選手は、足にボールがくっついているように見えることがあるが、それに近いと言えばご理解いただけるだろうか?
改めて、チャンの「基礎技術」の高さ、「身体能力」の高さ、そして何より「精神力」の強さを、まざまざと見せつけられた思いがした。
「ジャンプに重点を置くと、つなぎにまで力を入れる余裕は、そうそうあるものではない。」といった趣旨の発言をしている。
オペラ座の怪人は、時間をかけ、しかしあっという間に、私をさらっていってしまった。
ISUが求めているのは、まさにこういった、技術と魂と感情が見事にハーモニーを重ね、フィギュアスケートの根本である「スケーティング」を大事にしながら、柔軟にルールに対応していく、チャンのような演技なのではないだろうか?
カナダ選手権2011
ここが、五輪会場だったら・・・
そう思うと、来る世界選手権が待ち遠しくなってきた。
オペラ座の怪人に怪しくも息をする暇もない程、吸い寄せられた私は、渾身の演技を終えて激しく強く、何度もガッツポーズをするチャンを、ただ呆然とパソコン越しに見つめていた。
“ビッグマウス”が、初めて私の心に「素直に」やってきた瞬間。
その男、
やはり、「笑っていた。」