去りゆく“華たち”— 武田奈也、ラウラ・レピスト —
ソチ五輪まであと2年という今、年齢の壁と闘いながらひたむきに現役を続ける選手もいれば、世界と勝負するため更なるレベルアップをするべく、海外へ飛び出す選手もいれば、己を見つめ己の声に耳を傾けながら、周囲の声にも心を傾け新たな自分自身に出会うため、切磋琢磨する選手もいれば・・・、
人それぞれに、
目の前には様々な出来事が広がっている。
そんな中、やむを得ず二人の選手が競技生活にピリオドを打った。
● ラウラ・レピスト
キーラ・コルピと並ぶ、フィンランドの人気スケーターだった。コルピが、気品溢れる北欧の美女と言うなれば、ラウラはアジアンテイスト漂う美しい人とでも言おうか・・・。
「フィンランドには、美しい人が多いのか?」二人のスケーターを見ただけで、総体的にそうなのね?と思うくらいに、その美しさと気品は、私には“衝撃的”でさえあった。
名前をコールされてから演技をスタートさせるまでの氷上をゆるりゆるり旋回する間、ラウラは決まって腕と肩をキュッと動かしていた。
そうすることで、肩を背中を体軸をと、身体全体に「意識」を集中させるかのようにも見え、いや、ジャンプに対する構えの反復にもとれた。
バンクーバー五輪少し前か、五輪の時だっただろうか?私が彼女の名前を知ったのは・・・。
個人的にはコルピの演技スタイルに「気品」と「優雅さ」をより強く感じるのだが、ラウラ・レピストにはとにかく、そのアジアンテイスト漂う美しさと清楚なんだけどダイナミックなスケーティングと言ったらいいだろうか・・・強弱、剛柔、相反する魅力を兼ね備えた選手のように、私には感じられた。
「これから楽しみな選手だな・・・」
そう感じていたのだが、ケガに悩まされ続けたようだ。
今年2012年の2月に北朝鮮で開催されたアイスショーに参加した際、帰国してからフィンランド国内、韓国等からの“バッシングの嵐”にあった・・・そうだ。
出国前ではなく、何故、帰国してから叩く?
ラウラが引退を発表したのは、そのアイスショーからそう遠くない月日の3月下旬。
引退理由は、ケガだと報じられているが・・・。
自らのツイッターでは、前向きな発言をしているというから、今後はアイスショーでの活躍もあるのだろう。
日本の地上波でお目にかかれないのは・・・残念で仕方がないが。
パーソナルベストスコア
・トータル:187.97 (バンクーバー五輪)
・SP :64.30 (2010年世界選手権)
・FS :126.61 (バンクーバー五輪)
バンクーバー五輪:6位
2010年世界選手権:3位
● 武田奈也
フィギュアスケーターにしては、大柄な選手だという印象があるが、その笑顔「奈也スマイル」を私は今も忘れてはいない。
浅田真央や村上佳菜子だけではない・・・普段フィギュアスケートをあまり見ない人にも、そのはち切れんばかりの健康的な奈也スマイルは、「元気の源」として、間違いなく伝播したはずだ。地上波における露出が増えていたら、もっと・・・。
大柄な体格も関係したかどうか、年頃の身体の変化もあっただろうし、何より彼女もケガが現役生活を縮める要因になってしまったのだ。足首のケガ。
一昨年になるが、八戸で開催されたアイスショーのゲストスケーターの中に、武田奈也はいた。今思えば、思い切って八戸へ出向いて良かった、本当にアイスショーを見に行って良かったと、つくづく思う。
エル・クンバンチェロを披露してくれた。2009〜2010年シーズンのショートプログラムだ。振付けは阿部奈々美。
彼女の演技を昔から知っているわけではないが、私はこのプログラムが好きだ。オレンジと黒のコスチュームも、元気な印象の彼女にとてもよく似合っていた。
表彰台の常連・・・とはいかなかったが、会場の雰囲気をガラッと明るく爽やかに変える「奈也スマイル」は、ずっと私の心に残っている。
2011年引退発表。今後は、コーチを目指すという。トップレベルにはあと一歩二歩・・・だった武田奈也。しかし、ケガに悩まされた月日と時間は、決して無駄ではなかったはず。痛み(傷み)を知らない人には、相手の懐に入ることは容易いことではない。
痛み(傷み)を経験した武田奈也は、話しやすい指導者になって活躍してくれるんじゃなかろうか?
パーソナルベストスコア
・トータル:154.83
・SP : 55.06
・FS : 99.77
いずれも2007年GP NHK杯
二人の演技を、地上波で堪能することはもう出来ないだろうが、私はあなた方を忘れない。
素敵なひとときを、
ありがとう。
素晴らしい第二の人生を!